Diary。

好きなことを、好きなときに、好きなように。

未来について語ってみようか。

結婚したり家買ったり色々あったので
ようやく「保険」というものについて真剣に考えた。


入らないとまずいよね~的なゆるい感じだったので
共済とかでいいのかと思ってたら
夫の知人が生保に入ったので、そこで話を聞いてみるという…


私はそもそも保険に全く興味がなくて
保険の営業の人が大嫌いだ。

相手のことを考えている風に自社サービスを売ってくる感じが好きじゃない。
彼ら彼女らはそれが仕事だし
甘言吐くのはわかってるけど

「今後も付き合っていきたいと思ってる大事な人たちがハッピーに過ごせるように何かお手伝いが出来れば」とか言われても何か胡散臭い。

大事な人たちじゃない人達に売るときは何て言うんだろうか。
そもそもハッピー過ごす手伝いって何だ。もっと他にやりようないんか。とか色々思ったけど
夫が公私共々お世話になっているらしいのでまぁそれはいい。
色々比較するのも面倒だし。


で、保険の人と色々話していて思ったのは
保険ってあくまでも
「生きていくこと」を前提としたものなんだなということ。


死んだときのことではなくて
生きていて病気をしたとき、障碍者になったとき、介護が必要になったとき
あくまでもそれを想定しているもので

私は話をどれだけ聞いても
「それなら死にたいなあ」と思ってしまって
話が全然前に進まない。



前に友達に「続けている理由に積極的な理由が一つもない」と言われたことがあって
それは仕事のことだったんだけど
多分生きることに対してもそんな感じがする。

積極的に死にたいわけではないけれど
あと何十年も生きたいかと言われたら「別になあ」と思ってしまう。


「ご両親は今いくつ?元気だよね?
それ見てたら「別にもういい」とは思わないんじゃない?」とか言われたんだけど
別に自分に置き換えないし
親は元気で長生きしてくれたらと思うけど
自分は別にもういいです。


きっと子供がいないから責任もないしっていうのもあると思うんだけど
平均寿命まで生きたとして
あと50回も誕生日が来るのかと思うとうんざりする。


私は割と今までゆるく楽しく生きてきて
よくも悪くも執着がない。

「あれを見るまでは」
「ここに行くまでは」
みたいな気持ちが無いわけではないんだけど
仮にそれを出来ずに一生を終えることになったとしたら

それはもうそういうものとして納得してしまう。
縁がなかったんだなぁ、くらいの感じ。


「したかったこと」は「やらない選択をした」ことだから
「本当はああしたかったんだ」とも思ったこともない。
こういうこと言うと「嘘でしょ」とか言われたりするんだけど
本当に思わない。

というかすぐに忘れてしまう。
覚えていても後悔だけが降り積もってしまうから。

細かい「ああすれば良かったな」はあるけど
それは後悔でなくてただの反省。


若干話がずれたけど
「未来について考えてください」って改めて言われて
自分が人生に対していかにやる気がないかよくわかった。

完全に主旨がずれているし
だからって
よし、やる気出そう!とはならないんだけれども。


さぞかし保険の人もやりにくかったでしょう・・・
そんな感じだったもので
結局私が選択したのは
万が一働けない状態で生き残った場合、最低限夫に迷惑がかからない保障があって
65歳以上まで生き残ってしまった時に払う後期の保険料が少額のものという
なんとも保険会社的においしくない(と思う)ものになりましたw