Diary。

好きなことを、好きなときに、好きなように。

母性という神話の話。

妊娠して疑問に思ったことが一つあって。

母性というのはいつから芽生えるものなんだろうか。

仕事柄タレントのブログとかを見ていると
なんかもう心配で仕方なくて、胎動を感じるまで検査薬をずっと使っていたとか
お腹にいるとわかった瞬間から愛おしくてたまらないとか
よく見るんですが

感覚が全然わからないのです。

先日記事に書いた、飲み会でお腹を殴られたときに涙が出た、と言うのが
唯一それを実感した部分で
その他の部分でそれを鮮烈に感じるかと問われると、甚だ疑問が残ります。
私は欠陥品なのでしょうか、と思っていたのだけれど
この間ある友達と話していて

すごく「ああ、わかる」と思ったことがありました。

その友達はライブが大好きで、海外旅行とかもよく行くアクティブな子で
子どもができて自分のそういった1人でも楽しいことが制限されてしまうのが嫌だなぁと元々言っていたのです。
そして、子ども欲しいね、作ろうかと言っていた時期にできなかったから、もう出来ないと思って
子どもがいない前提の人生設計をしていた、と。

そこに子どもが出来て
動揺して泣いたのだと聞きました。

私は流石に泣きはしなかったけれど
今かぁとは確かに思った。

その子が言っていてひどく納得した言葉が
「出来たから産むし、産んだからちゃんと育てる。」
と言うもの。

何だかすごく
ああ、わかるよと思ってしまった。

産まれてきたらきっと子どもは愛おしく可愛いのでしょう。
でも、きっとそれだけではない。

1人の個人としての人間を産み落としたその責任が
ずっしりとのしかかってくるのです。

私は、子どもは可愛い、早く会いたいと言うよりも
自分の遺伝子を持った別の個体ってどんなものだろうかという気持ちがすごくある。

私と私の好きな人の遺伝子を継いだ、全く別の個人がそこにいる。
そしてその人がちゃんと生きていくために、ちゃんと育てる責任がある。
それは、最早母性なんてきれいな優しい言葉では片付けられないプレッシャーを孕んでいるのではないだろうかと。

日に日に大きく存在感を増していくお腹を見ながら
考えています。

母性に溢れた優しいお母さん、みたいな絵面を見ていると
微笑ましくてにこにこしてしまうのだけど
私はそんな風になれるのかなぁと心配になります。

カモン母性!みたいな。

でもきっとこの責任感にも似たプレッシャーを感じているうちは
きっと大丈夫なのではないかな、と少し楽観的に考えても、います。